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Category: ガラパゴス

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ゾウガメの島 『ガラパゴス諸島』
ガラパゴス諸島は、東太平洋の赤道直下、エクアドルの西900Kmに位置します。1832年にエクアドルが領有を宣言、エクアドル共和国のガラパゴス県に属します。スペイン語のIslas Galápagosはゾウガメの島という意味です。十数の島々と100を超える岩礁からなります。数百万年前に海底から隆起しはじめた火山群島です。現在のフェルナンディア島に位置するホットスポットの火山活動によって島々が形成され、ガラパゴス諸島が位置するナスカプレートが南東へ移動しているため、形成された島々は南東に移動しています。現存する島ではエスパニョラ島が最も古く、西側の島ほど噴火活動が活発で新しい島になります。

ガラパゴス諸島の衛星写真

1535年、スペイン人のパナマの司教フレイ・トマス・デ・ベルランガ(Fray Tomás de Berlanga)が、パナマからインカへの航海中に潮に流されガラパゴスに漂着しました。当時、ガラパゴスの島々は無人島で、オットセイとゾウガメとイグアナがのんびり暮らしていました。その後、パナマから南米にスペイン船が進出、16世紀後半には、ガラパゴスの海にもスペイン船が出没しました。17世紀になると、スペイン船の金などの積載物を狙う海賊が現れ、ガラパゴスの島影を隠れ家として利用しました。1684年、海賊のアンブローズ・カウリー(Ambrose Cowley)は島々の最初の地図を作り、1つ1つの島や湾、岬に英国王や貴族にちなんだ名前を付けました。1935年にダーウィンが訪れることになるチャールズ島、アルべマール島、ジェイムス島はこのとき付けられた名前です。

Map of the Galapagos Islands as described by Ambrose Cowley in 1684.
Map of the Galapagos Islands as described by Ambrose Cowley in 1684.

ロンドンの捕鯨とアザラシ猟の会社・サミュエルエンダビー&サンズ(Samuel Enderby & Sons)から派遣された英国海軍のジェームズ・コルネット(James Colnett)艦長が、1793年と1794年にガラパゴス諸島の海域で鯨蝋(げいろう)採取のマッコウクジラ漁の可能性を調査しました。鯨蝋は蝋燭(ろうそく)や化粧品の原料になります。コルネット艦長は正確な地図を作りました。捕鯨船の時代が幕を開けました。捕鯨は19世紀後半まで続けられました。

Sperm whale whaling
Sperm whale whaling(1850s)

ガラパゴスはベルランガに発見されてから3世紀以上の間、海賊と捕鯨とオットセイ猟の拠点となりました。島々は安全な停泊地と薪と水とゾウガメから得られる新鮮な食料を提供しました。多数のゾウガメが捕獲され生きたまま船倉に貯蔵されました。1811年から1844年の間に10万頭以上のゾウガメが捕獲されたと推定されています。ゾウガメは島を離れてから1年以上も生き延びることができ、船員に新鮮な肉を提供しました。ガラパゴスに生息するオットセイ(fur seals)は、厚く豪華な毛皮が珍重され大規模に捕獲され、20世紀の初頭にはほぼ絶滅に追い込まれました(その後大幅に回復しています)。

ガラパゴスに最初に住みついたのは1807年に捕鯨船を離れフロレアナ島に居残ったアイルランド人のパトリック・ワトキンズ(Patrick Watkins)で、数年の間一人で生活して野菜を育て通りかかる船に売ったりラム酒と交換していました。

米英戦争(War of 1812)の間、アメリカのフリゲート艦エセックス(USS Essex)のデイビッド・ポーター(David Porter)艦長はガラパゴス周辺海域を支配して、15隻ものイギリス捕鯨船を拿捕しました。ポーター艦長は海図を作成して、1813年7月のフロレアナの火山噴火を記録しています。また、島々のゾウガメの甲羅の形の違いを初めて指摘しています。サンサルバトル島のジェームズ湾に停泊したときに、ポーター艦長は海岸の近くにヤギを放牧しました。しかし、数日後にヤギは内部に消えて戻ってきませんでした。ポーター艦長はヤギを放つことを意図していませんでしたが、その後、多くは意図的に食肉の確保を目的にヤギが放たれました。ヤギは天敵がいない島の環境で繁殖しました。サンティアゴ島のヤギは10万頭まで増え、サンティアゴ島や他の島の固有の植物やゾウガメのような草食動物は絶滅の脅威にさらされています。

sailing frigate USS Essex (1799)
sailing frigate USS Essex (1799)

1832年にガラパゴス諸島はエクアドルに併合され、これをきっかけとして本格的な植民の試みが始まりました。最初のガラパゴス総督ホセ・ビジャミル将軍(José de Villamil)は、80人の部下を率いてフロレアナ島の東に入植して、島に自生していたリトマスゴケ(Roccella tinctoria)をオーキル(archil)と呼ばれる紫の染料の原料として輸出する事業を試みました。ダーウィンがきた1835年には、人口300人の集落にまで発展しましたが、エクアドル政府がフロレアナ島を囚人の流刑地としたので、将軍は島を去り、残留者は1847年にサン・クリストバル島に移りました。その後もフロレアナ島やサン・クリストバル島やイザベラ島やサンタ・クルス島では入植が試みられました。

1892年にコロンブス(Cristoforo Colombo)のアメリカ発見400周年を記念してガラパゴス諸島はコロン群島(Archipelago de Colon)と名づけられました。いまでもこの名前が正式名です。

ガラパゴスの島々には英国の海賊の時代に付けられた英名と、スペインのアメリカ大陸征服の時代に付けられたスペイン名があります。現在はエクアドルの公用語であるスペイン語のスペイン名が使われています。

- Galápagos Islands (en.wikipedia.org)
- History of The Galápagos Islands (Lonely Planet Travel Information)
- Galapagos History (GALAPAGOS GEOLOGY ON THE WEB)
- James Bay, Isla San Salvador (Discover Galapagos)

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